追記     そこにいってみよう

 

目次  1 海上の森を歩く  2 屋久島を歩く  3 白神山地を歩く

 

海上の森を歩く (2000.4.8)      かつての手付かずの「海上の森」に思いをはせ...

里山が注目されるようになって、ちょっと郊外に行くと雑木林や森に目が止まるようになった。里山は本来、薪を取ったり落ち葉で腐葉土を作るために人間が手を入れた二次林だ。(第3章・雑記帳を参照)おそらく荒れ野だったであろう関東平野の台地に人が落葉樹の苗木を植えたのが、今の武蔵野の始まりなのだが、今日では武蔵野の雑木林や「里山」が削られ宅地に変わり都市となって、公園として管理されているところを除けば、よっぽど郊外へ行かなければ武蔵野の面影は見られない。国木田独歩の「武蔵野」をめくると、明治時代には渋谷あたりから里山がはじまっていたようで、全く想像を絶する。なるほど都会人が週末になると都市を脱出する理由がよく分かる。

 

そんな折、名古屋郊外の里山・海上の森(かいしょのもり)を博覧会会場として、博覧会終了後には宅地利用され、開発が博覧会の本当の目的ではないかと思われる公共事業計画が持ち上がった。今日の自然保護運動における象徴のような位置付けになっている「海上の森」を是非とも見てみたいと思い、さっそく車で出かけた。東名高速の名古屋インターで降り、豊田市方面に向かう猿投グリーンロードを走る。途中、前方に緩やかに続く丘陵地帯を一面に見渡せる個所があり、まさしく都市近郊の里山をおもわせる風景に出会った。有料道路になる直前のインターチェンジで降りると国道155号線にぶつかり左折して、瀬戸市の愛知環状鉄道の山口駅付近に至る。ここで交差点を右折、800メートルくらい進んで道なりに北上するあたりの右側の路地を入ると、海上の森の入口である屋戸橋に到着する。矢田川沿いの道を北上、しばらくすると駐車スペースがあるので、ここで車を止めよう。ここは名古屋周辺に住む人々の緑のオアシスのような所で、名古屋ナンバーの車がほとんどだった。

 

〔写真〕海上の森の入口・四ツ沢付近

 

 川沿いの道をさらに進んだ四ツ沢分岐あたりが、海上の森散策の起点だ。代表的なポイントを一周するとだいたい3時間程度で回れるハイキングコースになっている。高低差が200メートルくらいになる標高312メートルの物見山と海上の森の中心地点になるものみ台、砂防池だが周辺の景観にマッチし写真でよく紹介されている篠田池に寄ってみた。尾根をつたう径路や林道はマウンテンバイクのツーリングコースにも利用されているようで、物見山の頂上ではMTBのグループが小休止ののち南へ下る尾根道に消えていった。いたるところに「山火事注意」の看板が立っている。また沢の小さな流れの上流には高さ数メートルの砂防ダムがいくつも要塞のように立ち上がっている。海上砂防池を見おろすものみ台には「2005年国際博覧会会場地」と記した立派な看板が設置されているが、それには「会場地は治山事業や砂防事業などにより今日の雑木林や杉、檜の林が形成されてきました」と書いてあった。海上の森の領域の多くは県有林であり、県が普段から管理をしていることが博覧会会場になった理由だと思われるが、ここの風景が博覧会施設の建設で一変するのかと思うとたいへん残念な思いにかられることは確かだろう。たとえゼネコンや土木建設業に従事する人であっても個人としては当然そう思うに違いない。ものみ台の博覧会看板には「残せ自然」「反対、反対、反対」と落書きがしてあった。落書きは当然許されるものではないが、拍手を送りたくなるような気持ちになるのも事実だ。それだけ開発が真の目的の博覧会計画は異常だということだろう。ここ愛知県瀬戸市・海上の森は地域開発を待ち望んでいるという大義名分論が少なくとも正当性を持てる過疎地では全くない。愛知博覧会計画は仕事(公共事業の受注)がほしい建設業界の思惑のみが先行して推進されている実態が簡単に市民に見透かされてしまった間抜けな政策である。
 海上の森のクライマックスともいうべき篠田池にむかう小径は、両側から樹木が迫って非常に絵になる。この日は人が少なく静かで、枯れた水生植物が覆っている篠田池のほとりで水面をながめていると、日本百名山にかぞえられる山の中にある深山の湖沼を訪れたような雰囲気が漂っていた。木々の若芽はまだ小さく、新緑の季節にはもう少し時間がかかりそうだ。駐車スペースの所では、博覧会中止と海上の森の保全を訴える市民グループの人たちが、署名活動をしていたので協力させてもらった。別途、博覧会の中止にむけての県民の意思を確認する住民投票の実施を求める請願署名活動も行っているとのことだったが、あいにく県外者のため無資格だった。
 海上の森を世界遺産登録へという運動もあるようだが、それはちょっと無理があるのではないかと思う。海上の森のような自然環境を残している里山は、実は全国いたるところにある。むしろ海上の森は全国にある「里山」の価値を復権させ、人間と自然との関わりの重要性を再認識させる契機となったところに意義がある。自分たちが今住んでいる地域にある里山を見直し、里山周辺で人々が暮らすことの意義やそこに生息している野生生物を保護することがなぜ必要なのかを問い直す作業がまず必要だろう。放っておけば、都市近郊の里山は確実になくなってしまう。そうなれば私たちの生活環境は悪化するのは間違いない。最近はビオトープという地域の野生生物の生息空間を確保する考え方が公共事業に取り入れられており、生態系を破壊しない開発が徐々に尊重されるようになっている。薪や腐葉土が必要なのではなくて、普通に人間が暮らしていくためにも里山のような身近な自然が必要だということを訴えていく必要がある。その試金石として、海上の森保全をめぐる動きを見守っていきたい。(その後愛知博覧会計画は大幅に縮小されて実施されることになり、この項で記述した区域内には博覧会会場は設置されなかった。)

 

    

写真説明  〔中左〕物見山への道 〔中右〕随所にみられる砂防ダム 〔下左〕篠田池へ下る道 〔下右〕篠田池

 

 

屋久島を歩く(2000.5.4〜6)

 

 

 

 ウィルソン株周辺の屋久杉

 

世界自然遺産ブランドの威力は絶大で、自然愛好者を自認する人は一度は屋久島を訪れるようである。是非行っておかなければならないという思い入れがにわかに高まり、筆者も屋久島に行くことにした。筆者の居住地から3泊以内で屋久島を往復するには空路しかない。ゴールデンウィークに行くとなるとチケットの予約が大変だ。結局一日目は鹿児島止まり、翌朝一番のジェットホイール「トッピー」で屋久島に向かう。鹿児島湾を出ると薩摩半島突端の開聞岳の秀麗な山容が望まれた。この便は種子島の西之表経由で10時過ぎに屋久島・宮之浦港に到着した。予約しておいたタクシーに乗り、直ちに荒川登山口に向かった。屋久島は全島の人口が約1万5000人、島の北側の上屋久町と南側の屋久町の2自治体に分かれる。上屋久町と屋久町の中間地点に屋久島空港や県の合同庁舎があるのが面白い。離島なので車の絶対数が少なく、ゴールデンウィークといっても道路が渋滞するわけではない。途中主要道の山側で、バイパス道路かと思われる新しい道路を造っているのが見えたが、何故なのかと気になった。 

安房の先から林道に入り、車はぐんぐんと高度を稼ぐ。荒川口側と淀川入口側の分岐点である荒川分かれ付近では頂上にピナクルが突っ立ている太忠岳が印象的。荒川口までは荒川の下流側に向かうので道路を下っていくのだが、もったいない気がしてしまう。約1時間で林道終点に到着、タクシーを降りて歩き始めたがフル装備でザックが重い。荒川口から縄文杉を目指す人は、必ず屋久杉木材資源運搬用の森林軌道の上を約2時間歩く。森林軌道は登山道ではないと関係資料には書いてあり、軌道の上を登山者が通行することは本来は国有施設の無断使用というべき行為なのだろうか。実際には年間何万人という入山者が歩いているし、港等で配布している「YAKUSHIMAマナーガイド」(鹿児島県の発行)という冊子には始めから縄文杉登山道と記載されているが、「軌道上ではトロッコの通行を邪魔しない」「途中の橋には手摺りがないので落ちないように」と注意事項が書いてあった。2時間少々で本格的登山道である大株歩道入口に着き小休止、ここは縄文杉からの下山者であふれていた。そのあとウイルソン株までの間にその日の縄文杉日帰り客のほぼ全員とすれ違うことになった。みな荷は軽装だが、非常に元気そうに下ってくる。旅館泊まりでは早起きはさぞ辛かっただろうに、縄文杉まで行くような観光客はやはり気合が違うのだろう。中にはすれ違うたびに「こんにちはっ」と声をかけることに、明らかに違和感を抱いている人もいたようだが....。

ウイルソン株周辺の屋久杉は風格があった。縄文杉に至っては辺りに訪問客は数人だけの時間帯だったので、静寂を保ち近寄りがたい神々しさが漂っていた。「ここはいい。」翌日見た紀元杉も風格があったが、そこを訪れるまでの過程がぜんぜん違う。森林軌道を観光客輸送に活用しようという屋久町主導のプランがあるとも、採算が合わず実現は難しいとも聞いているが、現状の自然を将来にわたって維持していくことの困難さを考えれば、これ以上の観光客・登山客の入り込み促進施策は回避する方向を明確にすべきだろう。もちろん自分たちだけは別だという登山者が持つ傲慢さは登山者自らが否定しなければならない。その日は新高塚小屋まで登ったが小屋は満員の盛況で、予想通り野営することになった。雨も降らず、手足を十分伸ばせるシュラフの中は誠に快適だった。

翌朝は、まずひたすら宮之浦岳をめざす。宮之浦歩道は尾根の上をたどる一本道で、やがて杉も見えなくなって森林限界を超えるとヤクザサが生い茂る草原風になる。小ピークの平石上からは宮之浦岳ピークや永田岳が間近に迫り、大パノラマが広がる。焼野三叉路から最後の登りがきつい。既に青息吐息で宮之浦岳頂上に9時に到着した。南西方面には海も見える360度の展望を十分楽しんだあと、ややバテ気味のなかで淀川小屋に向けて山を下った。トラバース道のすぐ隣の翁岳の頂上も特異な岩峰だ。正面に黒味岳を望む辺りから高度を下げ、花之江河で小休止。このところ晴天が続いており、南限の泥炭層湿原も乾き気味であったのが残念だった。ザックを担ぎなおす腰が重いが、道を急ぐ。すぐ下の小花之江河一帯も水が少なかった。登山道の西側にみえる本高盤岳のピークのトウフ岩は奇妙な限りで、いったい誰が切り刻んだ岩を置いていったのか。岩の周りの土が崩れ落ち吹き飛ばされて、岩だけが残ったのだろうか。さらに下って午後2時頃に淀川小屋に到着。連休も後半になり今日の淀川小屋宿泊者は数えるほどのようだ。登山道終点の林道まではあと40分だ。しかし淀川入口から麓の町まで下る足を用意しておかず、失敗した。タクシーを呼ぶ公衆電話も2時間歩いてヤクスギランドまでいかなければならない。同様の失敗をした日立市からきたご夫妻と一緒に林道を下った。沿道にそびえたつ川上杉、紀元杉を過ぎて1時間ほど歩いたところで、隼人町からフェリーで来たファミリーの自家用車に声を掛けられ麓の安房地区まで乗せてもらえた。タクシーも容易にはつかまらないなかで、本当にありがたい限りだった。                  

 

 

 

 

写真説明   〔上左〕森林軌道を行く   〔中右〕花之江河      

〔下左〕トウフ岩が乗っかっている本高盤岳  

 

 屋久島の交通手段はタクシー主体で登山者には不便極まりないが、不便がゆえに貴しという感がある。屋久島には親切な人が多いようで、観光客同士も助け合う気持ちが働くようである。筆者はザックを背負い道路をとぼとぼ歩いていて、別の場所でも2回ほど車に乗って行かないかと声を掛けられた。同時間に同じ屋久島にいるという状況が観光客であっても仲間同士で助け合うという意識を想起させるようだ。“山間地領域における地元民と登山客(観光客)との交流から新たな地域社会形成の枠組みづくりを”という筆者の着想を実践しているような事例を目の当たりにしたような思いがした(第3章までの議論・参照)。自然保護というキーワードを結集軸に屋久島共同体験という原風景が紐帯となって、屋久島における新しい地域社会づくりに参画しているといったら出来過ぎだろうか。昨夜の山小屋のなかで「わざわざ屋久島までやってくる人間に、変な人なんかいないよ」という自意識過剰な会話が聞こえてきた。屋久島は離島とはいうものの偏狭の地ではなく、何の不自由もないごく普通の市民生活が島内にある。でありながら圧倒的な自然がすぐ間近にあるのだ。少なくとも屋久島は他の日本百名山・景勝地とは違う状況があると感じた。

屋久島を出発する朝、屋久島空港の前で山をかなりたしなむという初老のタクシー・ドライバー氏と話をする機会があった。京都から屋久島に移ってきたという。屋久島は雨が降ったらすぐに川を流れ海に到達する滝のような川ばかりで、山には十分に雨が降り、たいていの川の水は安心して飲むことができるという。縄文杉までの登山道ではいたるところに水場があり、初めに500ミリリットルのペットボトルに半分も水を満たしておけば後は困らない。車が通る林道の脇でも、うまそうな清水が流れ落ちていた。屋久島では普段からミネラルウォーターを風呂や洗濯に使っているようなもので、ぜいたくな生活とのこと。ところが今年のゴールデンウィーク期間は20数年ぶりに一日も雨が降らず、普段は畑の排水に気を使うものなのに今年は給水するはめになったという。また近年中国からの黄砂現象がよく出るとのことで、中国の産業事情に起因する亜硫酸ガスが飛来し酸性雨の被害が屋久島でも発生するようになったら心配だ、と語っていた。饒舌な氏の話は進み、かつて屋久杉生産で潤った屋久島営林署は、屋久島の稼ぎだけで全国の営林署職員全員の給料を賄っていたとのことで、屋久島営林署長は屈指のエリートコースだったという。林野庁は、ひたすら金になる木(杉、檜等)を生産し、金にならない木(ブナなど)は伐採するというかつての国有林野事業・経営方針を改めて「森林の管理」に方針転換をはかり、営林署は森林管理署に名前を変えてしまった。その昔、金になりそうもない価値のない杉とみなされて伐採されなかった屋久杉が、今日“縄文杉”や“紀元杉”として脚光を浴び年間何万人もの観光客を呼ぶ観光資源になるとは、まさに価値基準の転換であり、皮肉なものである。また世界自然遺産登録後、行政は登録地域にあたる県道「西部林道」の道幅を広げないことになったという。世界自然遺産登録の意義を明確にすると同時に、一方で遺産登録地域に含まれない東部地区は開発が進展するのではないか。タクシー・ドライバー氏は西部林道地区に行かないと本当の屋久島のよさは分からないという。照葉樹林の見事さや宮之浦岳から永田岳を登り、永田歩道をとおって永田集落へ下るコースを是非歩いてほしいと力説していた。屋久島入門編だけでなくもっと屋久島を知ってほしいという思いが伝わってきた。

 

現在、大型観光バスは紀元杉のところまで入っており、観光客が貸切バスにのって杉を見物しにやってくる光景は異様にすら感じる。縄文杉への登山道や淀川小屋から花之江河までの登山道は既にオーバーユースで道がえぐられ、木製の階段がいたるところに設置してあった。屋久島東部は開発と自然保護のギリギリのバランスの上にあり、ここで開発が一歩リードすれば、一気に崩れてしまうのであろう。山のぼらー(登山者)は必要以上に快適な施設を求める開発を望まずに、自らの傲慢には厳しく批判をしながら自然と接しなければならない。現状を維持しながら屋久島の自然を守り、豊かな自然をいかした地域社会づくりをすすめられるように、なんらかの支援をしていきたいと思うところである。

 

 

 

写真説明   〔上左〕縄文杉   〔下右〕九州最高峰・宮之浦岳

 

 

白神山地を歩く(2000.8.6)

世界自然遺産に登録されて、最近急に注目度が高まっている白神山地にも行ってみることにしたが、保存地区は立ち入りが困難であるし、仮に入山規制の許可が取れたとしても森林の核心部分に入ることは力量的にも容易ではない。白神山地の保存地区に接しつつ白神の名を冠した白神岳は週末・山のぼらーの一般登山には最適とのことで、白神山地観光入門編というわけで白神岳に登ることにした。

東北道を北上ジャンクションから秋田道に入り秋田南インターで降りて一般道を進む。日本海沿いに国道101号線を北上、能代市を過ぎやがて青森県岩崎村に入るが、白神岳登山道入り口の案内標識が一目でわかるほど大きく掲示されている。これも観光資源「世界自然遺産」の威力か。事前に用意していた地図上の記載位置よりもかなり手前にもっと大きな駐車場が造成されていた。随分と登山客・山のぼらー受け入れモードにシフトしているようである。白神岳は標高1231.9メートルで、深田久弥の生存のころにはさして注目もされていなかった山域だろうから当然日本百名山に入っていない。しかし今日では深田・百名山並みの注目度の山域になっているにちがいない。

登山道の取り付きあたりではヒバが多く見られる。最後の水場を過ぎたあたりから登山道沿いには立派なブナ林が見え始める。平地からそれ程離れていないのにこのようなブナ林が見られるとは、やはり貴重な自然を残す山域としての価値は高いと思わせるものがある。しかし登山道沿いに生えている木々の不運か、苔むしたブナ特有の表皮に無残にも赤いペンキ印がつけられている姿が痛々しい。しばらくブナを配した自然風景を堪能する。やがて白神岳にも森林限界がみられ稜線に達するとお花畑がひろがり、まもなく山頂に至る。ここには立派な避難小屋とトイレがある。あいにくこの日は曇りがちで山頂付近はガスが覆い、西側に広がっているはずのブナ原生林区域は全く見えなかった。

  

写真説明   〔下左〕登山道沿いのブナ   〔下右〕白神岳山頂直下・稜線のお花畑、ハクサンシャジンなど

〔上左〕尾根のブナ

白神山地の自然を守るために繰り広げられた様々な運動については各書籍に詳しい。保護のあり方をめぐっての議論は世界自然遺産登録で一応の区切りがつき、入山規制で自然保護と自然利用(すなわち観光利用可能範囲)の区域分けが明確になった。行政も観光業者も一大転機を迎えにわかに活気づいたことは、同じく世界自然遺産となった屋久島のケースと同様だ。筆者の立場は自称週末・山のぼらーであるから、自然を持続可能な範囲内で利用しながら自然を保護していける人間と自然との関係性を重視するというものだ。さいわい白神山地はまだ屋久島ほど観光化されていない。いずれ我々のような週末・山のぼらー(登山客)も含め観光客(自称“自然愛好者”都市生活者)が大挙して白神山地にやってきて自然をつまみ食いし、過疎地域に金を落としつつもその代償として自然を台無しにすることに帰結していくだろう。だからこそ白神山地自然領域における将来にわたっての人間と自然とのかかわり方、山村特有文化の継承を確保していける条件の整備をいまから確立し、入山者各人が了解しておかなければならない。

通称・白神ラインと呼ばれる林道(県道・旧弘西林道)を自動車で走ってみた。貴重なブナの原生林を残す白神山地の外周部分を排気ガスを吐き出し粉塵を巻き上げながら走るのには実は気がひけるところもあったわけだが、是非とも白神山地の外観を眺めてみたかった。林道全線を走破するには約2時間半を要する。林道沿いにも意外なほど見事なブナが多く見られたが、実は山域の大自然のなかを一般道路が貫いているということだろう。途中の見晴らし台から眺める保存地区内ブナ原生林の景観はやはりすばらしい。原生林からは将来にむけてブナ林を守るという使命をになった悲壮な決意が聞こえてくるようでもあった。現在白神ラインが全面舗装でなく狭隘道路のままで観光バスは入れないのがせめてもの救いだ。現状でとどめるべきで、これ以上の開発はノーだ。為政者に対してはその良心に期待して拡幅舗装工事は絶対にしてほしくないと勝手ながら思う。

  

写真説明   〔左〕ブナを見上げる     〔右〕白神ラインから白神岳方面・ブナ原生林遠望

 

トップ頁へ   次頁へ